關於 徒然草 的日文評論

  • 作者:由 匿名使用者 發表于 書法
  • 2023-01-23

請問有沒有關於 徒然草 的日文的名家評論或推薦?例如周作人,席慕容等人的評論,有沒有日文版本?或者日本名家的評論。急等。

關於 徒然草 的日文評論tnorh2014-02-10

『文學』の編輯者から『徒然草

つれづれぐさ

』につ

常望

いての「鑑賞と批評」に關して何か述べよという試問を受けた。自分の國文學の素

360問答

養はようやく中學卒業程度である

步核相玉單步培袁龍乙

。何か述べるとす

醫京久重其策曾得

れば中學校でこの本を教わった

打介清第圓念遠等生醫幫

時の想い出話か、それを今日読み返してみた上での気紛れの偶感か、それ以上のことは出來るはずがない。しかし、それ

件門真

でもいいからと雲われるので、

初語嚴卻

ではともかくもなるべくよく読み返してみてからと思っているうちに肝心な職務上の仕事が忙しく

て思うように複習も出來ず、結

局瑣末

さまつ

な空談をもって餘白を汙

けが

すことになったのは申訳のない次第である。読者の寛容

を祈る外はない。

中學校の五年で『徒然草』を教わった後に高等學校

でもう一度同じものを繰返

して教わったので比較的によく

航術注每

頭に沁

み込んでいると見える。

その後ほとんどこの本を読み返

したような記憶がなく、昔読んだ本もとうの昔に郷裡の家のどこかに仕舞い込まれたきり見たことがない。それだのに

調

今度新たに巖波文庫で読み返して

みると、実に新鮮

な記憶が殘っていた。昔の先生の講義の口振り顏付きまでも思い出されるので驚いてしまった。「し

確死即垂型斤動夠爾而科

ろうるり」などとい

五教高雲層點散滑

う聲が耳の中で響き

備免

、すまないことだが先生の顏が

實頂

そのしろうるりに似て來るような気がしたりするのである。

もう一つ気

記著實友我靜否議掉

の付いて少し驚いた事は、『

徒然草』の中に現

れていると思う人生観や道徳観

米徵皇徑

といったようなものの影響が自分の現在のそういうものの中にひどく浸潤しているらしいことである。尤も、この本の中に現われている

それらの思想は畢竟

ひっきょう

あらゆる日本的思想

差造她判

の伝統を要約したようなものであるから、おそらくこの本を読まさ

交自名次四衡部

れなくてもやはり他の本や他の色々の途

みち

から自然に注入されたかもそれは分からないと思われる。しかしその時代に教わった『論語』や『孟子』や、マコーレーの伝記物や、勝手に読んだ色々な外國文學などを想い出して點検してみても、なるほどそれらから受けた影響もかなり多く発見されはするが、どうもこれ程ぴったりはまるものは少ないような気がする。つまり、中學時代の染

みやすい頭にこの『徒然草』が濃厚に浸み込んでしまったには相違ないであろうが、しかし、それにはやはりそれが浸み込みやすいような風に自分の若い時の頭の下地が出來ていたのかもしれないと思われる。そういう下地はしかしおそらく同時代の日本の少年の、皆まででなくとも大多數の中に、多少でも通有なものではなかったかと疑う。もしもそうであったとしたら、この『徒然草』が中學校の教科書として広く行われていたという事が、一時代の國民思想といったようなものに存外かなりの影響を及ぼしたのかもしれないと思われる。

『徒然草』から受けた影響の一つと思わるるものに自分の俳諧に対する興味と理解の起原があるように思う。この本のところどころに現われる自然界と人間の交渉、例えば第十九段に四季の景物を列記したのでも、それが『枕草子』とどれだけ似ているとか、ちがうとかいう事はさておいて、その中には多分の俳諧がある。型式的概念的に墮した歌人の和歌などとは自ずからちがった自由な自然観が流露している。「青葉になりゆくまで、よろづにたゞ心をのみぞなやます」というような文句でも、國語の先生の講義ではとても述べられない俳諧がある。同じことを雲った人が以前に何人あろうがそんなことは問題にならない。この文句が『徒然草』の中のこの場所にあって始めて生きて、そうして俳諧となるのである。ここで自分のいわゆる俳諧は心の自由、眼の自由によってのみ得られるものなのである。

兼好

けんこう

はこの書の中で色々の場所で心の自由を說いている。例えば第三十九段で法然上人

ほうねんしょうにん

が人から念仏の時に睡気

ねむけ

が出たときどうすればいいかと聞かれたとき「目のさめたらんほど念仏し給へ」と答えたとある。またいもがしらばかり食った盛親僧都

じょうしんそうず

の話でも自由風流の境に達した達人の逸話である。自由に達して始めて物の本末を認識し、第一義と第二義を判別し、末節を放棄して大義に就くを得るということを說いたのには第百十二段、第二百十一段などのようなものがある。反対にまた、心の自由を得ない人間の憐むべく笑うべくまた悲しむべき現象を記錄したものが非常に沢山に収集されていて、それがまたこの隨筆集中の最も面白い部分をなしているのである。似非風流

えせふうりゅう

や半可通

はんかつう

やスノビズムの滑稽、あまりに興多からんことを求めて卻って興をさます悲喜劇、そういったような題材のものの多くでは、これをそのままに現代に移しても全くそのままに適合するような実例を発見するであろう。十四世紀の日本人に比べて二十世紀の日本人はほとんど一步も進んでいないという感を深くさせるのはこれらの諸篇である。新しがることの好きな人は「一九三三年である。今頃『徒然草』でもあるまい」と雲うが、そういう諸君の現在していることの予報がその『徒然草』にちゃんと明記してあるのである。

かなえ

をかぶって失敗した仁和寺

にんなじ

の法師の物語は傑作であるが、現今でも頭に合わぬイズムの鼎をかぶって踴って、見物人をあっと雲わせたのはいいが、あとで困ったことになり、耳の鼻も

ぎ取られて「からき命まうけて久しく病みゐる」人はいくらでもある。

心の自由を得てはじめて自己を認識することが出來る。そこから足ることを知る節制謙譲が生まれるであろう、と教える東洋風の教えがこの集のところどころに繰返して強調されている。例えば第百三十四段から第百三十七段までを見ただけでも大體のものの考え方がわかる。第百三十七段の前半を見れば、心の自由から風流俳諧の生まれる所以

ゆえん

を悟ることが出來よう。

このような思想はまた一面において必然的に仏教の無常観と結合している。これは著者が晩年に僧侶になったためばかりでなく大體には古くからその時代に伝わったものをそのままに継承したに過ぎないであろう。とにかく全巻を通じて無常を說き遁世

とんせい

をすすめ生死

しょうじ

の一大事を覚悟すべしと說いたものが甚だ多い。このような消極的な思想は現代の青年などにはおよそ縁の無いもののようにも思われるが、しかしよく読んでみると必ずしもそうでないようである。昭和の今日でも道を求め真を索

たず

ねるものの修業の道は本質的には昔の仏道修業者の道とそれほどちがったものではないようである。例えば第九十二段に弓の修業の心得から修道者の覚悟を說くのでも、直ちに移して以

もっ

て吾等科學研究者の坐右の銘とすることが出來る。また第百十二段に大事の前に小事を棄つべきを說く條でも同樣である。國のために、道のために、主義のために、真理の探究のために心を潛めるものは、今日でも「諸縁を放下

ほうげ

すべき」であり、瑣々

ささ

たる義理や人情は問題にしないのである。それが善い悪いは別として、そうしなければ大願望が成就

じょうじゅ

しないことだけはたしかである。そういう「事実の方則」がこの書の到る處に強調されているのを見逃すことは出來ないのである。

かように、一方では遁世を勧めると同時に、また一方では俗人の處世の道を講釈しているのが面白い。これは矛盾でもなんでもない。ただ同じ事のちがった半面を雲っているのであろう。

世間に立交

たちまじ

わって人とつき合うときの心得を說いたものが案外に多い。これも現代にそのまま適用するものが多い。いわゆる「成功の秘訣」にでもありそうなことや、「英國風紳士道教程」の一つのチャプターといったようなもののあるのは面白い。第十二、三十六、三十七、五十六、七十三、百七等の諸段はその例である。いずれも平凡と雲えば平凡のことであるが、この平凡事を忘れているために大きな損をしている人は現在の世間にでも存外多いらしい。

第百九十三段「くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はん、更にあたるべからず、雲々」の條など現代の諸専門學者の坐右銘になる。ある一つの狹い専門の領域內でほんの少しばかり得るところが出來ると、もうすっかり思い上がって、冷靜な第三者から見ればその人とは到底比較にならぬほど優れた他の學者のほんの少しの知識の不足を偶然に発見でもすると、それだけでもう自分がその相手に比して全般的に優ると思ったりするのは滔々

とうとう

として天下の風をなしている。人の書いた立派な著書の中から白玉

はくぎょく

の微瑕

びか

のような一、二の間違いを見付けてそれをさもしたり顏に蔭で雲いふらすのなどもその類であるかもしれない。これは悪口でなく本當にある現象である、

その次の第百九十四段及び第七十三段に「噓のサイコロジー」を論じたものなども科學者の參考になる。これは「噓」とは事変るが、アインシュタインの相対性原理がまだ十分に承認されなかった頃、この所論に対する色々な學者の十人十色の態度を分類してみると、この『徒然草』第百九十四段の中の「噓に対する人々の態度の種々相」とかなりまでぴったり當て嵌

まるのは実に面白いと思う。科學の事でさえそうである。いわんや噓か本當か結局證明の不可能な當世流行何々イズムなどに対する人々の態度には猶更よくあてはまるであろう。読者は試みに例えば、マルキシズムに対する現代各人各樣の態度を「あまりに深く信をおこして」以下の數行にあてはめて見るとなかなかの興味があるであろう。ありとあらゆる可能な態度のヴァリアチオンが列挙してあるので、それらの各種の代表者を現代の吾々の周囲から物色するとすぐにそれぞれの標本が見付かる、そうして最後に自分自身がやはりそのうちのどれかのタイプに屬することを発見して苦笑する人が多いであろう。

このような人間の心理に關する分析的な考察も、すべてがこの著者のオリジナルなものではないであろう。清少納言から西鶴を通じて現代へ流れて來ている一つの流れの途中の一つの澱みのようなものに過ぎないかもしれないが、しかし、兼好法師という人の頭がかなりこういう分析にかけて明晰であったこともたしかであろうと思われる。

迷信に關する第九十一段なども頭の明らかなことを證する一例である。「吉日を選びてなしたるわざの、すゑとほらぬを數へてみんもひとしかるべし」というのは、現代の科學者が統計學の理論を持出してしかめつらしく論じることを、すらすらと大和言葉で雲っているのである。この道理を口を酸

くして說いても、どうしても耳に入らぬ人が現代のいわゆる知識階級や立派な學者の中にでもいくらでも見出されるのは面白い現象である。

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